借り物3年第5レース…。
そのレースはスタート前から波乱ずくめだった。
「おい…あれ……6レーンに………」
「えっ!?マジかよ!!!」
ざわめく観衆の視線の先にはトレードマークの眼鏡を光らせ、なぜかその金色の頭を赤白帽で覆うかの変人の姿…。手にはいつもの軍手、首には鉢巻、足元はだらしない便所スリッパ、そして背に大きく貼られた『皆神』の名のゼッケン。怪しすぎる。
「なんであの人が競技に参加してんだよ!?」
「しかも借り物!?やばい…絶対にやばい!!!」
このレースは絶対に何か起こる。その場にいるすべての人間がそう確信していた。
「借り物競争、3年第5レース…ま、間もなくスタートいたします…」
アナウンスを担当する生徒の声も心なしか震えている。
その声でようやく生徒会役員たちもこの異変に気づいた。
「慎―…あれあれ…」
得点集計をしていた慎はミツの引き攣った顔でようやく事態を理解した。
「…あの人……なんであんなとこにいんの…???」
「俺たち…逃げといた方がよくね?」
「……………危険すぎるな………」
慎とミツはそっとその場を離れた。
「おい薫ぅ〜。あれ見ろよ、あれ…」
赤いジャージの羞恥に耐えていた薫は翔の楽しくて仕方がないといった声で下がりがちだった視線をようやく上げた。
「……………あれは………」
「絶対面白いもん見られるぜ、このレース」
「今の時間、小鳥遊先輩は?」
「………フリーのはずだぜ?」
吉良の双子は専用の観覧席で悪魔の笑みを浮かべた。
「何であんな声震えてんだ?っておいノエル!!」
眠りこける叶の顔に落書きをして遊んでいたノエルと蓮はモニターに映る千迅の姿に手を止めた。
「ちーちゃんがなんであんなとこにいるのっ!?」
「あー、こりゃ暁の奴死んだな…(笑)」
「おい、お前ら何やってんだよ!ってうわっこれ油性…!!津田!おい!!起きろよ!!」
「あー!かなちゃん起こしちゃ駄目だって!」
「かなちゃん言うな!」
「なかなかいい出来だろ?って要!それどころじゃないって…。あれあれ…」
蓮に促されモニターを見た要はそこに異常なものを見つけた。
「何してんだよ…あの人…」
ヒゲ面になりながらも安らかに眠る叶は唯一事態を把握していなかった。
一般応援席で束の間の休息を満喫していた暁は我が目を疑った。
「ちょっと待て待て待て待て!!!!あの人どの競技にもエントリーしてないはずだろー!?!?」
慌ててスターターの元へと駆け出した暁だったが、無常にもそのレースの始まりを告げるピストルの音が鳴り響いた。
「うおおおおおお!!!!待てー!!!お前らちょっと落ち着け!!ありえんだろう!?」
暁の叫びはむなしくも周囲の歓声にかき消される。
走り出した7人の選手。なぜかそのうち6人は顔を引き攣らせている。唯一、赤白帽の奇人のみが満面の笑みを浮かべ今にもスキップしだしそうな足取りである。
「おい、アレ見ろよ…。暁の奴自分から飛び出してやがる…」
「自殺行為だ…」
特別観覧席の双子。赤い瞳がこれから起こるであろう出来事への期待で爛々と輝いている。
7人がほぼ同時に借り物のお題が書かれた札の元へたどりつく。各々1枚ずつ札をめくる。
「今回のお題担当者って誰だ?」
「………会長と津田……………」
モニター越しに様子を伺いながら要は深いため息をついた。
どう考えても危ないお題が飛び出す二人だ…。
「その人選ってどうなのかしらねぇ…」
「はあ!?食パン!?『カッコ耳のみ、カッコ閉じる』ってなんだよ!?!?」
「イグアナァ!?どっから借りて来いってんだよこれ????」
「ちょっと待て、これは無理すぎる…ブ、ブルマって………」
「よくできましたシール???」
「!?マグロ1匹!?!?」
「………………!!!」
札をめくった生徒たちの悲鳴がこだまする。それまでのレースでも見られた光景だ。
今年の借り物競争は酷い。
そして、皆が注目した札…。奇人は目を大きく見開きただ一言…
「おもちゃ!!!」
それだけを叫んだ。
借り物としては至って普通の内容だが、いかんせん引いた人物が悪かった。
勢い余ってトラック内に進入していた暁は、『おもちゃ』の一言で固まった。蛇に睨まれた蛙、風の前の塵。
蛇は顎に手を当て、真剣に考えこんでいる。
「片岡くん…いや、ここはおチビも捨てがたいような……。んー、津田くんはきっとお昼寝タイムだよなあ…お昼寝中の津田くん…かわいいなあ……って、あーおもちゃおもちゃ…。あえての蓮、いやここは双子に…うーん」
「ってあんたなんで『おもちゃ』の題で人物名ばっか挙げてるんですかっ!!」
………真っ当すぎるつっこみに、歓声が一瞬止む。
目が合った。
「あ、暁くん………」
「あ……………」
ボケられるとつっこまずにはいられない苦労人気質。激しいつっこみは変人の意識を引き寄せるには十分すぎた。
「いいところにいるねえ!!僕、今おもちゃを探してたんだ!!!競争なんだよ!!早く見つけて持っていた人の勝ち!おもちゃ!見つけた!!!」
「ちょっ!!違っ……!!待て!待て待て待て!!!お、俺はおもちゃじゃなくて…!!だー!!来るな!!」
逃げ出そうとした暁の肩をいつ伸ばされたのか、軍手をはめた手ががっしりと掴んでいた。
「遊んで行こうよ、暁くん…」
目前にせまる嫌というほど性的な笑みに、暁は再び硬直した。
「うおおおおお!!!小鳥遊先輩いいい!!!!!」
野太い声は暁ファンの屈強なる漢たち、通称「小鳥遊会」から発せられるもの。「小鳥遊」と書かれたのぼり旗が高く掲げられる。
「皆神!!!今日という今日は!!!」
「小鳥遊先輩から離れろ!!」
やたらでかい男たちがトラック内に乱入する。
「あらあら〜。暁くんも大変だねえ…。すごい団体さんきちゃったよ」
余裕綽々で千迅は迫り来る壁のような男たちを見渡す。その顎はちゃっかり暁の肩に乗せられ、ついでと言わんがばかりに耳へ息を吹きかける。
硬直する暁の顔は見る見る青ざめ、無残なこととなっていった。
「おいおいおい!!なんか凄い展開だな!!…ちょっと俺も行ってくるわ!薫!後まかせた!」
「………馬鹿ばっかりだ…」
「回収、しにいくか?」
「不憫すぎるだろあれ…」
「駄目っ!私あんなむさくるしいところ行けない!!」
「大丈夫大丈夫。多少空気は薄いかもしれないけど…俺たちだけじゃ皆神さんは止まらないんだよ…」
場は乱れに乱れた。
食パンの耳を探し求めるもの、イグアナを探し途方に暮れるもの、変人対むさくるしい男たち、挟まれた姫君ならぬ運動部長。そして更に登場する生徒会役員の面々。
「千迅ぁ!早くしないと1位持ってかれるぞ!おらっ!そこのお前!!よくできましたシールだ!」
飛び出した翔が右往左往する生徒の額に大きなシールを貼り付ける。
「あ!会長さんの登場はちょっと卑怯じゃないかなー!暁くん、ほら!急いで!!」
「まて皆神ー!!!うおおおおお小鳥遊先輩!!!!」
千迅は暁の腰を引き寄せ走り出す。その後を大男たちが追いかける。
「皆神さん!ちょっと待って!!暁の魂抜けてますって!!」
更に場の収集をつけるために要と蓮が聖夜を引きずり駆けつける。
「雲母さん!!ブブブブ、ブルマ貸して下さい!!!」
「はあぁ????」
ブルマのお題を引いた生徒がそれを引き止める。滝のような汗と混乱しきった瞳が聖夜の恐怖心を煽るには十分すぎた。
「え、ちょっ!!ちょっとまってまって!!」
後ずさる聖夜。
「ノエルちゃんのブルマを脱がすだと!?!?」
その光景に色めき立つ聖夜親衛隊の面々。そしてまた追いかけっこが始まる。
「おい、なんで聖夜まで追っかけまわされてるんだよ!!」
「あー、もうわけわかんねえ!!」
要と蓮があまりのことに白旗をあげそうになった瞬間、
―――――――― ぱんっ!!!
レースの終了を告げるピストルの音が鳴り響いた。
ゴールテープを切ったのは一人の一般生徒。
手にした札に書かれたお題は…
「………ど、童貞男……。ぼぼぼぼぼ、僕はどどどど、童貞だか、だかっ!!だから!!!」
ゴール目前で翔が目元を覆い、千迅ですら口元に手をやり視線をそらす。
騒ぎ立てていた大男たちはのぼり旗を取り落とし、聖夜親衛隊はわが身を思い顔を引き攣らせる。
「ゆ、勇者だ…」
狂乱の競技場は凍りついた。
「こいつのチームに500点追加してやれ…会長権限だ…」
青い顔をした生徒の肩を叩き、翔は去った。
「まさかあんな捨て身戦法に出られるとは…。暁くん…残念だけど僕たちは2位に甘んじよう…」
ゴールラインをまたいだ千迅は暁の腰から手を離し、その場を後にする。
「そ、そのうちいいことあるわよ…がんばって…ね…?」
気持ち尻を隠した聖夜は愛想笑いとともに走り去る。
「このレース、伝説になるな…」
「皆神千迅を負かした男…か…」
蓮と要は遠い目をしてへたり込んだ男たちを追い立てつつ退場する。
そして場に残されたのはむなしく輝く1位の旗を手にするかの勇者と、抜け殻となった暁だけだった。
「か、回収しにいく??」
「さすがにこれは予想外の展開!!」
影から様子を伺っていた慎とミツはおそるおそる暁の下へ歩み寄る。
未だトラックの中央で真っ白になっている二人。
「と、トリ先輩……尻の穴は無事ですから安心して下さい…」
それはちょっと違うよミツ…と思いつつそれでもかける言葉が見つからず、慎は黙したまま何も語らなかった。
「俺は一体なんなんだ……」
暁の呟きは、風に流されむなしく消えた。